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詭弁に反撃することの面白さ 『レトリックと詭弁』香西秀信

書評

ブログを開設してから一週間、一つも記事を書いていなかったので、最近読んで面白かった本のレビューを書いてみたいと思います。

 

タイトルは『レトリックと詭弁』。レトリック(修辞・表現技法)という言葉はあまり聞きなれませんが、詭弁というところから分かるように、議論術について書かれた本です。

 

レトリックと詭弁 禁断の議論術講座 (ちくま文庫 こ 37-1)

レトリックと詭弁 禁断の議論術講座 (ちくま文庫 こ 37-1)

 

  議論が好きでないという人はいるかもしれませんが、議論に負けたいと思う人はいないと思います。この本では様々な詭弁のテクニックが紹介されていますが、それはテクニックを使用するためではなく、相手が使用した時に見破るため、つまり勝つためというより負けないための方法が書かれています。もっとも、防御によって相手の詭弁を防ぐことにより相手の面目を潰すことができるので、自動的に非常に効果的な攻撃ともなるのですが。

 

同じ理由から、本書では紹介されているテクニックを使用することは推奨されていません。それは倫理的にまずいからではなく、見破られた時のダメージが大きすぎるからです。

 

全17章からなり、各章では古今東西の小説や討論を題材にして、この議論ではどのような技巧や詭弁が使用されているのか。また作品中で言い負かされているキャラクターはどのように反論することができたかを分析しています。結果、作中ではしたり顔をしているキャラクター(あるいは実在の人物)の化けの皮がはがされていくのは痛快でもあります。


例を挙げると、夏目漱石の『坊っちゃん』で主人公の坊っちゃんが赤シャツからうまく言いくるめられている場面を引き合いに出し、作中では議論に勝っている赤シャツがどんなずるい詐術を使用しているのか、またどうすればその詭弁をかわすことができたかを解説しています。
またここからが面白いところなのですが、作中では言い負かされた坊っちゃんが最終的には赤シャツを腕力で懲らしめて爽快ということで終わっているのですが、筆者はこの落ちに不満を感じ、せっかくだから議論で負かしてほしかった、腕力で片を付けてしまうのがやや悲しい、と作者夏目漱石の意図から距離を置いて批評しています。

 

この例に限らず、各章のエピソードでは、一般に勝者と判断されている側や良識的とされている側にも容赦なく冷徹な分析で議論の粗に痛烈な批判を加えています。それを読むだけでも面白い。

 

本文で紹介されているテクニックの一例を上げますと、序盤にあるのは「問い」の効果です。議論の中で、しばしば「本当は答えを求めているわけではない」問いが使用されます。通常であれば平叙文で語るべき自身の主張を疑問文という形で相手に問うのです。
例えば「私は君の~という考えは間違いだと思う」という平叙文を「まさか君は~と思っているわけではないだろうね?」と疑問文で言い換えるように。
平叙文を使った時と比較して疑問文を使うことの効果は本文に詳細かつわかりやすく紹介されているので割愛しますが、議論に慣れていない者からすると問いの魔力には非常に引っかかりやすい。しかしこの解説を読むことにより、テクニックの構造すべてを覚えられなくても、少なくとも議論中に相手が疑問を投げかけてきたら警戒できるようになります。

 

最後に、あとがきより、筆者の専門である修辞学を極限まで突き詰めたらどのような世界になるか、という予想(筆者は「妄想」と仰っています)を紹介します。
「同様に、この世のありとあらゆる説得的言論を解剖し、それが論法、議論術として機能する秘密を暴いてみせたら、誰もが議論をするのにはなはだ難儀するようになります。どんな手を用いても、相手にはすでにその手の内が知られているのですから。こうして、ついに誰も議論などできない世の中になったら、どんなに清々とすることでしょう。」


修辞は分析すればするほどその実態が取るに足りないものであることが明らかになっていくのが面白い。
議論の無い世界、私も見てみたいですね(笑)。