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学問と人類の未来を考えてみよう 『パラダイムと科学革命の歴史』中山茂

こんばんは。黒田正一です。

 

今日もまた、面白かった本を紹介します。
書評というより内容の解説みたいになってきましたが…。


本の紹介の前に私の個人的経験を少し。

昔の話になりますが、私は大学受験で一浪していて予備校の理系クラスに通っていました。

最初の授業で、とある講師の方が言った言葉に面食らいました。

 「このクラスはみんな理系志望なんだから、科学が絶対の真理だなんて思っているやつはいないだろうね?

(え?違うの…?っていうか科学の正しさを信じてるからこそ理系に進むものなんじゃないの?)


18年かけて培ってきた科学観をひっくり返されて驚きましたが、残念なことに講師の方はそのあと特に解説もせず別の話に移ってしまったので、その後ずっとモヤモヤしていました。


その時の言葉の意味がわかったのが、晴れて入学できた大学で、一般教養の哲学の講義で哲学者カール・ポパーカール・ポパー - Wikipedia)の理論を習ったときでした。


簡単に言うと
【20世紀前半の科学界を悩ませていた問題】
すべてのカラスが黒いことを証明することは、黒いカラスを1万羽集めたところで不可能だ。
1万1羽目が白いカラスじゃない保証はどこにもないからだ。
じゃあ自然をいくら観察したって何が正しいかなんて全くわからないじゃないか。科学なんて無力だ!

ポパーの考え】
確かにすべてのカラスが黒いことを証明することはできない。
でも例えば白いカラスを1羽でも見つければすべてのカラスが黒いことは否定できる。
今のところ白いカラスは見つかってないから、「すべてのカラスは黒い」という理論を「暫定的に」正しいってことにしておこう。白いカラスが世界のどこかで見つかる時までは。
そんな感じで、絶対に正しいとは言い切れないけど「今のところ否定されていない」理論の寄せ集めを科学と呼べばいい

 

この話を聞いたとき、予備校の講師の方が言っていた「科学は絶対の真理ではない」の意味がわかるとともに、ポパーすげえ!これは否定のしようがない!と思いました。

 

それからしばらくは精神の安定を保っていたのですが、最近読んだこの本によってまた科学観が揺さぶられることになってしまいました。

 

今回紹介するのは、中山茂氏著『パラダイムと科学革命の歴史』です。

パラダイムと科学革命の歴史 (講談社学術文庫)

パラダイムと科学革命の歴史 (講談社学術文庫)

 

 パラダイムという考え方を科学の世界に持ち込んだアメリカの科学史家トーマス・クーン(トーマス・クーン - Wikipedia)という人がいます。

著者の中山茂氏はクーンのパラダイム理論を日本に紹介した業績を持っていらっしゃいます。
本書ではパラダイム理論を軸として、科学を含む学問全般の歴史、性質、そして未来について語られています。

 

まず書名にも入っているパラダイムという言葉を解説しておきましょう。
日常でもたまに「パラダイムシフト」とか「これは新しいパラダイムだ」とか聞いたことありませんか?
意味は「それぞれの時代を支配している考え方の枠組み」です(厳密に言えば不正確だと思いますがご容赦を)。
パラダイムシフトっていうのは今までの時代にみんながもっていた考え方が覆されることで、新しいパラダイムといえばその次の時代で採用された考え方のことです。

 

考え方の枠組みが変わるとはどういうことでしょうか?

本書の中にある天文学の論争を例に説明しましょう。

 

古代の天文学者プトレマイオスクラウディオス・プトレマイオス - Wikipedia)は、地球を中心に太陽が周りをまわっている天動説を提唱しました。

天動説はその後かなり長い期間、科学者だけでなく一般の人々の世界観、つまりパラダイムの軸になりました。そして天動説を前提にどんどん天文理論を発展させていきました。

 

ところがしばらくすると、どうこじつけても天動説で説明できない星の動きが徐々に観測されるようになってきました。
そんな中「もしかしたら逆じゃない?太陽が中心で、地球がまわってるんじゃ?」という地動説を提唱したのが16世紀の天文学者コペルニクスニコラウス・コペルニクス - Wikipedia)でした。

今まで太陽がまわることを大前提として考えていた当時の人々は、地球がまわる理論の登場によって考え方の枠組み、つまりパラダイムを根本から変えられる経験、パラダイムシフトをしたわけです。

 

ちなみに、地球がまわってると言ってた人をもうひとり聞いたことありませんか?
そう、コペルニクスより100年ほど後の時代の科学者ガリレオガリレオ・ガリレイ - Wikipedia)です。地球がまわってると言ってキリスト教会をはじめとする周囲からめちゃくちゃ怒られてました。

「あれ?コペルニクスの地動説発表から100年たってもまだみんな天動説信じてたの?」
と思われるでしょう。そうです。まだ世界はプトレマイオスパラダイムを持ってたんですね。
千年以上信じてきたものは、いくら新しい理論が合理的だろうが簡単に捨てられるものではありません。

 

ついでに言うと、人類の歴史で地動説を最初に唱えたのはコペルニクスではありません。
プトレマイオスより更に昔、2000年以上前のギリシャアリスタルコス(アリスタルコス - Wikipedia)です。こんなに昔に現代と同じ理論を持っていたにもかかわらず、当時は全く見向きもされず、しかもその後ずっと忘れ去られていたんですね。

 

さて、ここから以下の2つのことがわかります。

 

①学問はまっすぐに進歩していくのではなく、以下のように変化していく。
 通常の進歩

  ↓

 パラダイムシフト

  ↓

 新しい路線での通常の進歩

  ↓

 パラダイムシフト

  ↓

 以下繰り返し…
パラダイムシフト前後の新旧の学問は、全く別物といっていいものになる。

 

そしてこちらの方が重要で面白いのですが

どの路線が採用されるかは、妥当性とか整合性よりも当時の流行り人々の感覚学問の派閥の権力の強さあるいは政治権力者の都合によって決まるということです。
このことは、学問はどんどん正しい方向に進んでいくんだ、という素朴な学問観を持っている人には衝撃的だと思います。

 

今は数学的に説明できる学問ほど高度な学問とされ、数学>物理学>生物学>社会学>文学みたいになってますが、これは単に数学モデルを用いる派閥の声がでかいだけで、この序列でなければならない理由はどこにもないのです。

 

ここからちょっと私の解釈が入りますが、以下の面白いことも示唆されます。

 

突然ですが、科学や文学の古典って読む価値があると思いますか?
特に科学は昔の理論なんて今は否定されているんだから、読んでも時間の無駄なんじゃ?
そう思われるかもしれませんが(実際私も最近まで思ってました)、以下のように考えてみてください。


学問において正しいとされるかどうかは、それが作られた時の流行りや派閥の強弱によって決まると上で述べました。ということは、過去において「間違い」とされたり見向きもされなかった理論も、だめなものであるという合理的理由はどこにもないわけです。

 

通常の進歩が順調に進みだす時というのは「その分野の学問が何をどのように扱うか」の方向性がはっきり示された時だといえます。やることさえ決まればあとは時間と人手をかければかけるだけ進歩しますからね。
しかし逆に言えば「何をどのように扱うか」が決められたということは「何を扱わないか」「どのように扱わないか」も同時に決まるということです。


その時点でいろいろな都合から切り捨てられた「過去の遺物」のような対象や手法は、通常の進歩が順調に進むうちは忘れられていますが、通常の進歩が行き詰まってきた時(つまり既存パラダイムの限界がきたとき)には、新しいパラダイムの芽となるはずです。

それを発見する意味でも古典には思った以上に宝となるべき考え方が眠っていると思います。

※別の言い方をすれば、学問は進むべき輝かしい路線が決まった瞬間に、その路線の崩壊の芽をすでに抱えているともいえます。


さて本書では上記の話の他にも、学問の歴史や性質を綿密に分析した理論が紹介されています。
章題と合わせてざっくり紹介すると

【記録的学問と論争的学問】

  • 学問には二種類ある。それぞれどのように発展してきたか?

【専門職業化の世紀】

  • 現代の学問は極めて専門化が進み、一人の学者が扱う分野は極めて狭くなっている。どのような経緯でこうなったのか。またそれは好ましいことなのか。

パラダイムの移植】

  • 東洋と西洋それぞれの天文学や医学など、異なる文化圏で個別に進化してきた学問は、出会った時にどのように影響し合ったのか。

 

必ずや今までの学問観、ひいては学問を進歩させることが他の動物との違いを生んできた人間観をも揺さぶられるはずです。ぜひ読んでみてください。